先是提到 出道單曲 『LOVE YOU ONLY』沒有獲得一發片就冠軍
會有想要第一名的打算,不能只有出道之後的喜悅
因為看著上面是 SMAP,下面是 V6 、 KinKi Kids 被夾在中間其實是很焦慮的!
在最新一期的女性周刊裡,刊登了這樣的對話「中山秀征 vs. 國分太一」
因為兩人是一起主持 『白熱ライブ ビビット』(TBS系)
以下談話:
中山「TOKIOはもう20年以上ですか」
国分「’94年にCDデビューしました。事務所に入ったのは13歳、中学生でしたね」
中山「ということは、ジャニーズJr.時代も?」
国分「中学1年のときに、光GENJIのバックダンサーをやっていました。当時、SMAPがまだデビュー前で、メンバーの誰かが修学旅行に行くときに、僕が代打で雑誌の取材を受けたり(笑)。僕とV6の坂本(昌行)くんはSMAPとして雑誌に出たことがあるんですよ」
中山「すごい時代があったんですね」
国分「その後、光GENJIの『剣の舞』という曲で、『平家派』というバックダンサーができるんですよ。そこになんとか入って」
中山「いろんなグループを渡り歩いていると」
国分「これでいつかデビューできるだろう、と思っていたら、平家派は自然消滅でなくなっていっちゃったんですね。大人数だったんですけど、そのときから一緒にやっていたのが、リーダー(城島茂)、山口(達也)くん、坂本くん、長野(博)くん、イノッチ(井ノ原快彦)で」
中山「意外なつながりですね」
国分「平家派がなくなると、仕事も減っていって。当時Jr.の中で『終わった』という言葉が流行したくらいです」
中山「それがまだ10代?」
国分「15歳でしたね。そうしたら、中村繁之さんのミュージカルで、初めてTOKIOというグループが結成されたんです。まだリーダーと松岡(昌宏)と僕しかいなくて」
中山「そこから始まっていく」
国分「それがなかなか(笑)。舞台が終わると1カ月仕事がなくて、雑誌の取材があればいいほうという感じだったんです。それで、『繁之さんの付き人になりなさい』って言われたんですよ」
中山「シゲの付き人を?」
国分「台本持ったりとか朝起こしたり。16歳のとき、20日間くらいだったと思います。繁之さんからはいろいろ教えていただきましたし、スタッフの方に『お前えらいな』『絶対役立つからな』と声をかけていただけたのもうれしかったです」
中山「いい経験だったと思います」
国分「そこから、いまのメンバーがそろって、バラエティ番組やドラマにも少しずつ出させてもらったりする中で、僕が20歳のときに、CDデビューできたんですよ」
1994年出道,進入事務所也才13歲是國中生,國一時就在光源氏後面伴舞,在當時 SMAP 出道前,有成員去畢業旅行,於是我就代打拍設雜誌,所以當時 我跟坂本 就以SMAP稱呼出現在雜誌上。
之後也幫 光源氏「劍之舞」伴舞、「平家派」也參加,後來不知不覺中就出道了,當時一起的有 LEADER(城島茂),山口(達也),坂本,長野(博),inochi(井原快彥)
因為平家派那時工作開始減少,當時的 Jr.甚至有「結束了」這名詞都很流行
當時自己也才 15歲,之後 中村繁之 的音樂劇,初次讓 TOKIO 這個團體結成,但是除了 Leader 跟 松岡外,我以外都沒有
舞台劇結束後也只有一點點雜誌採訪,也被說像是「繁之桑」服侍打雜的身邊人
一起床就拿著劇本,16歲大約有 20天都思考,在繁之桑的交倒下,也在工作人員面前說「你很棒」、「絕對有你可用」對於繁之桑的這番話讓太一好開心
之 後成員也確定了,也上了各大節目也演出戲劇等等,我在20歲時就已 CD 出道了!!
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